ヘンリープール・アンダーカッター
鈴木一郎氏インタビュー(第2部)

※鈴木氏は2013年までの在籍です。
資料価値が高いインタビューのため、掲載を継続しています。

2010年8月6日、ヘンリープール、英国サヴィル・ロウ本店に勤務する日本人カッター、鈴木一郎氏にお話を伺いました。ヘンリープールの日本人カッターとしては唯一で、本場で働いているからこそお聞きできる興味深いお話が満載です。28,000字を超えるロングインタビュー。1部と2部に分けて掲載します。お楽しみください。


鈴木一郎(すずき・いちろう)
ヘンリープール社・アンダーカッター
1980年大阪生まれ。日本の大学を卒業後渡英。ロンドン・カレッジ・オブ・ファッション卒業、ヘンリープール入社。


ヘヘンリープール
サヴィル・ロウ本店
アンダーカッター
鈴木一郎氏 インタビュー

第2部:サヴィル・ロウの日本人カッターとして

「第1部:日本での学生時代から英国留学まで」を読む

 

●ヘンリープールの独自性

――各テーラーの営業スタイルといったら、口コミと常連さんですか。

歴史があるっていう部分でお客様が来てる、ということは強く感じます。そこそこの腕いいビスポークの店よりも、そのスーツいいね、と言った時に話がすごく広がるのがサヴィル・ロウだし、ヘンリープールです。チャーチルと同じ生地だったらロンドンのヘンリープールというテーラーがあって、そこでチャーチルが何年に作ったものと一緒の生地で、とか、その生地の説明も出来たり。そういうストーリーがある店というのは強いです。
歴史を着るということになるんでしょうね。スーツ自体は変わらない……変わらないスーツもあると思います。ヘンリープールだけで仕立てているお客様はいらっしゃいますけど、ヘンリープール以外のテーラーで作っているお客様もいます。テーラーも頑固だから、いちいちほかのテーラーのいうことを聞いてないですよね。

――ヘンリープールならではの強みってなんでしょうか。

ウエストエンドスーツ、サヴィル・ロウの象徴、ということでしょうね。ドレープがあって絞られてて、スリーブヘッドの構造とかゴージのラインとか、そういうことでしょうね。
ロイヤルワラントもプラスになってると思います。ロンドンでよくいうんですが、「Live on the history」。でも、歴史にばかり頼っていてはいけないと、フィリップがよく言いますが、僕もそう思います。新しいこともやっていかないと。保守的だけではダメでしょうね。新しい顧客の開拓であったり、そういうことをやっていかないと生き残れないと思います。だからといって、それはスタイルを変えることではなくて、マーケティングとかそういうことだと思いますけど。

――スタイルを変えることが新しさではない、ってことですね。

ヘンリープールのスーツというのは常に着ていただきたいものなので。子や孫に譲れるようなスーツですね。

――それにしても、一郎さんの日常生活は、『ヘンリープール=人生』になってますね。

そうですね。全然苦じゃないです。

――土日はどうしてるんですか? 

土日は会社に出てもいいですし、好きなことをやってます。

――コンテストでニュージーランドに行ったそうですね。常に作り続けてるんですか?

そうですね。デザインが好きなんです。今行こうとしている英国の王立の芸術の大学院があるんですけど、どこまでいけるか自分の実力を試したいと思ってるんです。
ほんとに綱渡り、行き当たりばったりですよね、僕。そう思わせるきっかけになっていったのは、なかなか接客するチャンスがないということにあったんですけどね。そのままずっとやっていてもダメになってしまう、ヘンリープールは素晴らしく威厳のある場所だけれども、ずっと今と同じことをやってても自分はダメだということも考えてて。デザインにも興味があります。二兎も追うものは一兎も得ずと言いますけどね。

――一郎さんが今話しているデザインというのはモードのことですか? 

ゆくゆくは鈴木スーツみたいなのを作りたいですね。それはマスプロダクションでもいいんですけど、クオリティーを兼ね備えたものを作りたいですね、新しい形のスーツを。最終的な目標はテーラー持って、自分の店をオープンすることです。

――スーツにこだわっていくというのは仕事の中心軸としてあるわけですか? 

そうですね。すごく好きなんです。特にジャケット、神秘的ですね。何に惹かれているかはちょっと答えはまだ出てないですけど。
デザインする時は、僕は上からいくんですよ。今までの作品を見ていただけたらわかりやすいかもしれませんね、ジャケットがすごく目立ってます。重いと言われる場合もありますが。

――一郎さんなりの新しさを生み出していけるような希望があるんですね。

うまく説明できないですけど、需要を作りたいということです。テーラーですっと極めるというのも面白いと思いますけど、僕は壁にぶちあたったので。それでもけっこう楽観的ですね、僕は30歳ですけど、まだまだ先は長い、路線は変更できると思ってます。

――そうですね。今のパーカーさんの年齢を考えるとあと30年以上ありますもんね。まだまだチャレンジ出来る。

職人として頑張っていくことにも固執していない。新しい流行とか需要を作りたいという面でデザインに惹かれている部分もあります。どっちも興味がありますし。まあテーラーでよく言われるのは『何がやりたいのか?』ということです。

――特にこの人すごいな、生きてる死んでるに関わらず、すごい先輩デザイナーというのはいますか?

アレキサンダー・マックイーンですね。尊敬します。最近亡くなったんですけど。パリでもキャットウォークしていた人。

――英国人? 

そうです。アンダーソン・アンド・シェパードでもやってた人です。見た感じはフーリガンみたいなんです。でも、すっごい繊細なんですね。あんな野獣みたいな奴からこんな服が生まれるのか、と驚きがあります。彼が言っていたんですが、どんな汚い服の切れでも俺はアートに変えることが出来る、どんな汚いテーブルクロスでもアートに変えることが出来ると。すごいなと思うのが彼のウィメンズのコレクション。僕はよくタータンとかスコットランドの生地とかよく使うんですけど、ヴィヴィアン・ウエストウッドも有名でよく使ってますが、一線画してる感じですね、アレキサンダー・マックイーンは。あんまりそこまで好きなデザイナーはいないんですけど、彼はほんとに心からすごいと言える人の一人ですね。

――デザインの話題になったときは、イギリスではなく、フランスやイタリアにすぐニュースソースがいきがちですよね。 

ええ。でも、フランスやイタリアで革新的なスーツを作ったという人はいないです。形だけ見てもその人のスーツってなかなか分からないじゃないですか。ジョルジオ・アルマーニやオズワルド・ボーテングは、ビジネスはうまいと思いますが、デザイン性があるかというと、全くそうは思わないです。

――ヘンリープールはデザイン性を強化していくっていうことはないんですか? 

それはないです。

――サイモンさんもそういう考え方? 

はい。タイムレスのスーツを作るというのが決まり文句ですし、それは誇りに思っていることなんです。デザインやトレンドを意識したスーツを作って欲しいという人は、多分ハンツマンとかアンダーソン・アンド・シェパードとかに行くと思うんですね。モーリス・セドウェルとかも頑張ってますけど、ちょっと変わったものを作っているだけじゃないかと僕は思ってます。ただ、モーリス・セドウェルというのはマネージメント・ディレクターがすごくいいテーラーさんで、数少ないマスターテーラーの一人です。もう一人言われているのが、エドワード・セクストン。トミー・ナッターの右腕としてやってた人で、マスターテーラーと言われてます。

――トミー・ナッター自身もマスターテーラーだったんですか? 

いや、違います。オズワルド・ボーテングみたいなビジネスに手腕はあったみたいですけど。

――プロデューサーみたいなもんですね。

そうですね、マネージャーかな。

 

●カッターという仕事

――さて、一郎さんはストライカーなどを経て、いよいよカッターになりました。カッターがどういう仕事か教えてください。

まずは接客です。こちらから提案するものもありますし、お客様のご希望を聞いて勧めたりとか、一緒に生地を選んで、採寸して、型紙作って、生地を発注して、生地を切って、トリミングしてテーラーに渡す、と。
アランと僕の体制を例にお話しすると、アランはフィッティングをします。お客様と一緒に生地を選んで注文伝票が僕に回ってきます。メジャーメントとか体型とか写真も全部載ってるので、僕がパターンおこして、生地を頼んで切ってトリミングしてテーラーに渡して1回目のフィッティングに返ってきます。アランがフィッティングしてるのを一緒に付いて見たり、終わったら僕がそれを全部ばらして新しい線引いてテーラーに返す、と。

――接客が何よりも重要ですね。お客様が何を望んでいるのかまず聞き出す、と。それがビスポークの語源ですよね。

信頼してくださってるので。有名店でもあるし。スタッフを信頼してくれていますよね。提案も結構採用してくださいますね。

――初めてのお客様はやはり難しいですか?

フィリップは慣れたもんです。再来店する人かどうか分かるみたいですね。

――一郎さんは接客の時どういう点に注意してるんですか? 

僕の場合、日本人のお客様だったら提案出来る部分も多いんですけど。日本人ではないお客様とは言葉はどうしてもネックですね。お客様が構えてしまうと、もう中に入っていくのは難しいです。構えさせるというのは、僕が口を開いたら英国人ではないって分かるので、そういう場合です。イギリス生まれの日本人とか中国人とか、英語を母国語としてしゃべる人だったら容姿が違うだけで実質英国人と同じなんですけど、僕は母国語が日本語の、英語を喋る外国人なんです。
失礼にならない格好をしてるんですけど、しゃべるとお客様が構えてしまう場合もあるんですね。それに気付いたのが、やっぱり売り上げに関わってくるからなんですよね。他の店を見て回るお客様が帰ってくる場合と、帰ってこない場合があるんですが、帰ってくる時というのは、たいがい僕がアランやフィリップの名刺を渡しておいたのが大きいようです。この人の下についてますからと言って名刺を渡しておくと、じゃあ帰ってきた時は英国人に見てもらえるんだというのがあるようです。だから、お客様が帰ってきてくれてもなかなか複雑な気持ちで。英国人のオーダーは今まで取ったことがないんですよ。英国人はほんとに難しいですね。

――じゃあ今までオーダー取ったのは英国人以外の方で? 

そうですね。アジア人とかヨーロッパ、他の国の人ですね。インド人とか。英国人から注文を頂くのは、なかなか壁ですね。そこで我を突き通すというのは難しいです。1着ずつそんなことが積み重なってくると、結局は何百万、何千万という大きな金額になってくるので。

――言葉がけっこう大きい? 

フィリップを見てたらあらゆる話題についてしゃべってるんですよね。アランも物知りだし、色んな話題に柔軟に対応しながら、フィッティングもしている。こりゃ、すごいなと。さすがだなと思いますね。普通の人よりも物知りで、ニュース見たり音楽聞いたりしてるんでしょうね。あそこのレストランおいしいよ、とかの話題は、本当に行ってないと言えない。経済的に許す範囲で実際に行って食べたりしてるかもしれないですし。お客様にも聞かれるんですよね、おすすめのところを教えて欲しいって。こういうことが本当に重要になってきます。
英語でもよく言うんですけど、そこに入るまでの物は持ってた、そこから一人になるまでの物を果たして持っているのか、と。自分を振り返ると、ちょっと疑問だし、悔しいです。
僕が働いてるフロアには、僕以外にはイギリス人しかいないです。そこでやっている優越感というものは最初はありましたけど、大切なのはその次の段階ですよね。今は入社した頃に感じていた優越感は全くないです。
ヘンリープールで働いている唯一の日本人ですね、すごいですねと良く言っていただけるのは事実です。言っていただけるのはありがたいですけど。自分では壁にぶち当たっています。でも、学ぶことは一杯あるので、そこはたくさん吸収して今後の糧にするということです。
自分では分かるんですよ。このままいてもずっとこのままだと。自分でメジャーして、後は経験なんですよね。今日本で誰かがビスポークやったとしても、実際型紙切って採寸してフィッティングしても、経験がないとほんとに難しいですよね。その経験というのは、さっきも言いましたけど、やってみて初めて分かることです。パターンはメジャー見て切れるけど、システムがあったら誰でも切れるんですよ。どこが重要かといったらそのニュアンスですよね。フィッティングが終わったらどうパターンを変えるかとか。そういった経験は、やってみてはじめて身につけることが出来ます。

――今それをアンダーカッターとしてやってる? 

はい。僕が裁断したものをアランと一緒にフィッティングするんですけど、だいたいはわかってきたんですが、実際仕上げまで持って行きたいですよね、自分がフィッティングやって。

――このままいくとアンダーカッターからその上のクラスにステップアップしていくんじゃないですか? 

ステップアップしたといっても多分言葉だけで。接客はさせてくれるんですけど、見えない壁がありますね。

――壁を感じる時というのは、キャリアが落ち着いて年月がたった時に感じるものでもあります。

落ち着いたというより言葉ですね。僕は英語がしゃべれると自分では自負してます。でも、自分なりの壁はあって、満足は全然してないんですね。僕の英語をもってしても無理、相当厳しいです。イギリスで幼少期から育ってる日本人なら話は別でしょうけど、二十歳過ぎて行ったら厳しいです。学習能力に差がでてきますよね。個人差あるとは思いますが。しゃべるにも限界があるんですよね。時事問題とか、発音とか。
こっちが英語が母国語じゃないと分かるお客様は、わかったとたんに構えますから。人の良さだけではなかなかお客は付かないです、普通の小売店じゃないですからね。いい人というだけじゃダメです。英語が普通にしゃべれてイギリス人の容姿でいい奴だったら売れますね。フィリップとかアランはやっぱりそれを兼ね備えてます。
今僕が思うのは、自分には運があったなということです。もちろん努力に比例して機会が色々出てくるわけだし、その機会の上に運が来て、それがうまく機能したということなんでしょう。運を増やす為には努力して機会を増やして、運の率をあげようとしました。その3つが味方してうまくいきましたけど、そこからですよね。とてもヘンリープールに良くしてもらってますけど、僕がずっと努力していたのを見てくれてたのかもしれないですね。

――カッターの職制というのは、アンダーカッターの上がシニアカッターなんですか? 

いや、カッターです。

――アンダーカッター、カッター、シニアカッター、で、ヘッドカッター? 

はい。

――シニアカッターとヘッドカッターはどう違うんですか? 

同じようなものです。ヘッドカッターはフィリップですけど。シニアカッターがアランとアレックス。

――ヘッドカッターは事実上ディレクターみたいな存在ですか。

フィリップは色んな肩書きがあるんです。マネージング・ダイレクターというのもあります。

――ミーティングではどんな話をするんですか? 

ボードミーティングは色々あるんですけど、若者の育成であったり、受注会の報告とか、テーラーとカッターのコミニュケーションを改善したほうがいいとか。

――営業会議とか事業会議に近い? 

そうですね。月に1回経理も含めて一緒に。

――カッターは全員参加? 

アンダーカッターは不参加です。店番をしないといけない。

――一日店を空けるんですね、その日は。

いや、一日じゃないです。だいたい3時くらいから始めます。

――お客様が帰ってくる、というお話ですが、さっき店に来たお客様がちょっと他店も見てくるよと言って、まるで百貨店でウィンドーショッピングをしているような感じなんですか。

実際そんな感じですね。

――ビスポークテーラーでもそういうお客様が多いんですか? 

情報だけでヘンリープールに決めたというのはないと思います。チャーチルとかディケンズのファンだったら別ですけど。普通に仕立てるとなると、色んなとこに行ってみたい、話したりもしてみたいじゃないですか。そうじゃないですか? 高い物買う時って。

――そうですね。その時に受注に結びつけるのはさっきおっしゃっていた会話。

どれだけ接客するかですね。サイモンはすごいです。時間を惜しまないですし。買う買わないで接客を変えたりしないですね。たまに時間があったら店を案内したり。サイモンはそれに長けてますね。

――飛び込みのお客様っているんですか? 

ええ、いらっしゃいます。

――紹介なしで来る? 

さっきお話ししたような人たちですよね。色々見て回ってて。

――昔のヘンリープールは紹介がないと作ってもらえないという噂があったんですけど。

それはちょっと聞いたことがないです。

――一見さんお断りという噂。全然ない? 

全くないです。

――飛び込みでも大丈夫? 

突拍子もない注文じゃない限り、作らせていただくと思います。

――一番多い新規のお客様は、飛び込みよりも紹介が多いんですか? 

そうですね。

――その人たちのほうが堅いですよね。

堅いですけど、それで失敗したお客様もいらっしゃいますし、どれだけ初めが重要か身にしみてます。サイモンがいつも言いますけど、帰ってこないお客様はお客様と呼べない。そういう感じです。

――裏返すと、帰って来てくれるような接客と物作りを、ということになりますよね。

はい。

――お客様の嗜好性は国民性と関わるんでしょうか? 例えば日本人はこんな服、イギリス人はこんな服が好きとか。

もちろんあります。日本人は黒っぽい服が好きですね。一概につまらないとは言い切れないですが、個人的な感覚で言うとつまらないですね。切ってるほうにとっては。国民性がすごくでてると思います。イギリス人はピンストライプが好きとか。

――アメリカ人はどうですか? 

アメリカ人はヨーロッパと似てますよね。国民性とかいっても同じだと思いますよ。大きく違うのはアジアとヨーロッパに分けた時。

――ヨーロッパの人たちは割とはっきりした柄の服を好む? 

それも職業とかにもよりますね。見てたらやっぱり生地が明るいですね。明暗は見てて分かります。黒いのにチェックがちょっと入ってるというのが日本の国民性が反映されている感じですよね。向こうは赤とかピンク、黄色のけっこう大胆なチェックが好きですね。傾向としてはあると思います。

――着心地に対してはどうなんですか? サヴィル・ロウのスーツはわりとピタっとしてますよね。アームホールが小さくて。

もう慣れですよね。日本人はけっこうゆったりしたのを好きですよね? 初め違和感があると思いますし、実際に僕もありましたけど、着慣れるとビスポークしか着られないですね。ビジネスクラスからエコノミーに戻れない、一回乗ってしまうと。そんな感じです。
僕も初めはあんまり分からなかったんですよ。着ながら、既製服と何が違うんだろう、と。見て分かるところもあったんですけど、ドレープっていうのは着てみないと分からないですね。着て初めて分かる部分もありました。

――見た目じゃなくて着心地だと? 

着て分かったので、今は見ても分かるようになりました。スーツは絞る、絞らないという、単純な問題じゃないです。他にも色々ありますし、アームホールが下がってたらこいうシルエットになったり。だからアームホールは上がってたほうが腕の下からが長く見えるんです。エレガントですよね。着心地だけじゃなくて外見も見て分かるようにはなってきました。もちろんまだ勉強中ではありますけど。

――それは既製服では実現出来ないくらいの手間がかるんですね? 

そうですね、中のキャンバスが違うんです。芯地が違う。

――既製服では芯地を変えたくらいじゃビスポークには追いつかない? 

いや、芯地を変えたらだいぶ変わると思います。あと手でちょっと作る部分を増やす。芯地はとても重要です。ただ、たいていのお客様はドレープが出過ぎと言われるんですけどね。けずる場合もけっこうあるんですよ。僕はけっこうあるほうが好きなんです。

――それはコストに反映されてる訳ですか? いい芯地を使うから? 

もちろんです。最高のものを作る店なので、最高の素材を使います。マシンでやったりする人もいるんですけど、それでもやっぱりツボを押さえてるんですよね。重要なところは手で。違いは見た感じあんまり分からないです。

――手で縫うのと機械で縫う違いは何ですか? 

ソフトなことです。マシンでやると固くなります。

――着心地も見た目もソフトになる? 

はい。手でやるとソフトな着心地ですし、あと軽い。

――着心地が軽い訳ですよね? 実際の重さじゃなくて。

はい。着るというよりまとってる感じ。セカンドスキン(第二の皮膚)ってよく言いますね。

――それを味わってしまうともう既成服には戻れない? 

そうなんですよね。僕もヘンリープールに入る前はそう思ってなかったんですけど。

――昔、学生の頃はそういうのばかり着ていたんですもんね。

そうです。今はどんなに安くても既製服は買えないです。ニュージーランドでコレクションやったときもそのビスポークの方法で作ったんですけど、やはり見た目が違ってて、自分で言うのもヘンですが(笑)、すごくかっこよかったです。

――それだけのコストをかけて良い素材で作った服だから、最終的な値段も上がる、と。

そこはセールスポイントですよね。作るのにどれだけかかるとかよく言うじゃないですか。

――そこにお客様は納得されている訳ですよね? 

はい、最高の素材、腕の良い職人が時間をかけて丁寧に作り上げるというのは事実ですし、付加価値ですね。自分たちの作ってるものに自信がないと勧められないですね。これにこれだけ出してもらうっていうにはある程度自信もって勧めないと。自分が嫌いなものを勧めても、それは本物だとは言えません。

――三千ポンドの価値を分かってくれる方がお客様になっていくということですね。

はい。ただ、サヴィル・ロウではマシンでやる人も増えてきてるんで、ちょっとそこは悲しいですね。

――それは時間の問題?お金の問題? 

お金作りたい時に早くやるという方法です。経験がある人は、この部分を押さえておけば間違いない、というのがあるんで大丈夫なんですけどね。袖も手でつける人が減ってきています。

――ヘンリープールは今でも全部手作業なんですか? 

手でやる人もいますし、マシン使う人もいます。

――どういう作り方をするかはカッターが指示するんですか? 

ほとんどテーラーがカッティングします。ほんとに大事なところはカッターがやります。

――そこまであんまりカッターも言わないんですか? 

テーラーによってどういうのが得意かとかがあるんです。例えばモヘア縫うのが得意とか。そういうのをカッターは分かってるんで。

 

●英国人と衣服

――英国には階級がありますが、ビジネスマンを労働者階級とすれば、貴族階級は働いてないですよね? そういう人たちが着るスーツや服は違いがあるのですか?

一緒です。やや貴族階級の人たちはスポーツジャケットが多いかなと思います。ハンティング行ったりするので。でもあんまり変わらないです。結婚式にスーツ誂える代わりにモーニングを誂えるという違いはあるかもしれません。スーツでいいかという人より、経済的に裕福なので。ちゃんと略式に従ってモーニングを作るということですね。

――そのほうが値段が高いんですよね?

手間もかかりますし。

――素材が変わるから?

いや、素材じゃないですね。手間です。作るのに時間がかかる。

――作り方が違う?

一緒のところもあるし、違うところもあります。作る人が少なくなってきているというのもあります。

――ディナージャケット(タキシード)はお好きですか?

はい。一個作ってもらったんです。青いベルベットのジャケット。真っ青なんです。毎年2回パーティーがあるのですけど。サヴィル・ロウのカッターとか生地商の人が集まる食事会なんですけど。夏と冬にあって、冬はけっこうフォーマルなんですね。指定はブラックタイなんです。僕は、行く時はいつも目立ってやろうと思ってて、その青いのを作ったんです。案の定目立ちまして(笑) みんな黒なのに、僕一人青ですからね。それでネイビーブルーのボウタイとドレスシャツと黒のディナートラウザーを自分で作って行ったんです。そのときは作れたんですよ、作ろうと思ったらディナージャケットは。ただあえてベルベットの青にしました。

――サヴィル・ロウのパーティーで出られる日本人は一郎さんしかいないんじゃないのですか?

今度一緒に行きましょうよ。写真一杯撮ってください。一人だけゲストを呼べるんです。

 

●これからのテーラリング

――一郎さんは、日本人としてサヴィル・ロウで働いている数少ない人で、ヘンリープールでは唯一です。すごく誇りもあるし、嬉しい気持ちだとお話を伺いました。だからこそサヴィル・ロウのスピリットやノウハウを日本人として吸収して日本にフィードバックするとか、あるいはサヴィル・ロウで今まで作られてなかった服を日本人である一郎さんが作っていくという気持ちとか、これからの思いを聞かせてください。

僕がやりたいのは、培った知識なり経験を糧にして、これからも物作りをやっていきたいということです。そして、当初目標に持っていたデザインの面白さを知ってたので、最終的にやりたいのはキャットウォーク(ファッションショー)をやって、テーラーを出す、ということです。

――デザインだけじゃなくて、ビスポークを土台にしたデザインも含めて。

はい。最終的には僕が指示するだけ、という状態ですね。色々現実的な問題があるので、経済も冷えていますし、考えなきゃいけないことは沢山あります。
それでも、それが最終目標なんです。英国に滞在していることも、一緒にやってる仲間のことも、ヘンリープールで働けているということはすごく大きなことなんですけど、将来辞めたからといって関係を絶つわけではなく、ずっといい関係が続けていられるようにしたいですね。一流の職人になって頑張って行くっていうのは、難しいかもしれないですけど。

――いわゆる日本人初のヘッドカッター?

それは、なかなか難しい。どうなるのかなって考える時もありますけどね。例えば英国人と結婚したらビザ取らなくてよくなる。ずっといることによって、ヘッドカッターになれるのかな、と思うときもあります。それでも難しいと思います。

――言葉の問題で。

ええ。それに、ずっと同じ事やってるわけにもいかないと、自分では思ってます。今は要求してくる若いスタッフが多いみたいですね。あれやりたい、これやりたいとか。向こうの言葉で「Don't start runing before you walk.」、歩く前に走り出そうとするなという意味ですが。ただ、実際いたとしても、なかなか位置は変わってないのかなと思いますし、デザインが出来る訳じゃないので。自分の中でずっと頭の片隅にあるのは、需要を作ってみたい、ということです。それに挑戦することですよ。
マイケル・ジョーダンが言ってたんですが、失敗することは受け入れるけれども、挑戦しないことは受け入れないと。「I accept failure but I can not accept not trying」。失敗してもいいんだと。すごくいい言葉です。やっぱり挑戦はしたい。決して無駄にはならないですね。たとえ服飾業界から離れて仕事してても、海外で生活して働いたっていうのもすごくいい財産にはなると思ってます。行き当たりばったりでどうなるか分かりませんけど。
ひとつ言えるのは、いろんな人たちの助けがあってこそだろうな、と。今までもそうでしたし、日本に帰ってきてもチクマさんをはじめ、たくさんの人たちのお世話になってますし。英国でもヘンリープールにお世話になってます。
どうやったら助けをいただけるかっていうと、姿勢が大事で、常にやることに対して全力で取り組まないといけないって思います。日本に帰ってきた場合、ヘンリープールとの関わりが続くかは分かりませんが、個人的な関わりは続けていきたいですね。そうなったとき、彼らが来日した時に一緒に仕事するかどうかは分からないですが、来た時にはもちろん会いたいですけどね。

〜インタビューは以上です〜




インタビュー:株式会社チクマ ヘンリープール事務局
2010年8月6日 大阪にて
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