ヘンリープール・7代目
サイモン・カンディ氏インタビュー

2010年7月14日、来日中のサイモン・カンディ氏にお話を伺いました。氏はヘンリープール社取締役であり、6代目現社長アンガス・カンディ氏の長男。修業時代から現在に至るまで、ヘンリープール7代目の次期社長として期待されるサイモン・カンディ氏の9000字を超えるロングインタビュー。お楽しみください。


Simon Cundey(サイモン・カンディ)
ヘンリープール社・取締役
1968年ロンドン生まれ。ロンドン・カレッジ・オブ・ファッション卒業。フェラガモ、テーラー&ロッジの後、ヘンリープール入社。父である6代目現社長アンガス・カンディ氏を引き継ぐ7代目として活躍中。ロンドンのみならず、米国でのトランクショーでビスポークビジネスを広く展開しています。


●ヘンリープール入社前の修業時代。

―― ヘンリープール入社前にフェラガモとテーラー&ロッジで修行されたと書籍『Henry Poole --Founders of Savile Row--』には書かれていますね。

サイモン
フェラガモは何代かにわたった家族経営の店です。そういう伝統に根付いたモノづくりや会社づくりも学びました。あとは、お客様に忠誠心をもっておつきあいするということも学びました。

―― フェラガモではどういう仕事を担当してたんですか?

サイモン
TLC(テンダー・ラヴィング・ケア)です。商品やお客様のことを気にかける、会社に忠誠心を持って働く、ということです。忠誠心、そうですね、ケア(気にかける)ということですね。
1950年代から60年代にかけて、オードリー・ヘップバーンやジュディ・ガーランドなどの著名な女優のお客様がいたのですが、世代ごとに受け継いできたサービスを行ってきました。私が働いていたのは店頭で、靴の販売です。英国での夏休みがだいたい2ヶ月くらいあり、その間にやってました。面白いことに、ヘンリープール社で仕事を始めた時、フェラガモのお客様の旦那さまがヘンリープールの顧客だったことがわかりました。

―― フェラガモで働いていたときは、将来ヘンリープールで働くことを意識していたのですか?

サイモン
服飾業界に入っていれば、将来いろんな助けになるとは思っていました。でも、ヘンリープールで働くことはその頃決定していたことではないんです。自分がどういうことをヘンリープールで出来るか分からなかったので。暗中模索していました。
フェラガモの後にロンドン・カレッジ・オブ・ファッションに入学していろんなことを学んだのですが、それでも、自分に何が向いているかわかりませんでした。ただ、テーラリングを学ぶ上でも学校へ行くことは必要でした。

―― ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションを卒業してテーラー&ロッジに?

サイモン
そうです。テーラー&ロッジには4ヶ月いたのですが、ジョージ・ハリスンでもやっていました。ヘンリープールに入る前に生地の勉強をするつもりでした。テーラー&ロッジは工業都市にあって、騒音もすごいし、においがすごくきついところでした。最初に糸を生産する部署に行き、糸を紡ぐとこから始まって生地にする工程を学び、ヘリンボーンや綾織りなど、いろいろなパターンを学びました。多くのことを学べたと思っています。
その後はチェスター・バリーに入り、パターンオーダーを学んだのです。まだその頃は技術が向上していなかったので、いろんなサイズの型紙を並べて手で切らなくてははならなかったのです。それはストライカーと言って、生地を切る役割をしていました。正確に早く仕上げなくてはいけなかったのです。
その頃、ヨーロッパの市場の売れ行きがよかったので、父のアンガスはまだ若く、私がパリに行ったわけです。アンガスを引き継ぐのが私だったので、フランスに送られて語学を学びました。そんなに大きいテーラーではないのですが、パートタイムで色々学んでいました。4ヶ月費やしたのですが、テーラーでは1ヶ月、あとは語学の勉強でした。そこで妻と出会ったというわけです。

―― 奥さんはフランス人なんですか?

サイモン
ドイツ人です。フランス語を勉強しに行ったのにドイツ人の彼女が出来たので、帰ってからもフランス語をしゃべることなく、フランス語は私の中ではすたれてしまい、ドイツ語が上達することに(笑)。89年に戻ってきて、本格的にヘンリープールで働きはじめました。

●ヘンリープール入社

―― 1989年にヘンリープール社へ入社。その時はなにから始めたんですか?

サイモン
カッティングです。丁度その頃、アメリカでの受注会に行っていた人が病気になってしまって。当時アメリカには船で行っていたので、アメリカ内の移動はすべて電車、一度ロンドンを離れたら2ヶ月くらいは戻れなかったです。

―― サイモンさんがその仕事を引き継いだんですか?

サイモン
その他の引き継ぎの業務もかなり多かったです。シニアカッターが引退して、アンダーカッターがカッターになる、そういう時期でもありました。フィリップ(註1)がそのとき行っていましたが、自分も同行しました。フィリップはセールスマンなんです(註2)。常にアンダーカッターとカッターとの関係があって、お客様に会ったらカッターはアンダーカッターを紹介するということがさかんに行われていました。そのうちの10〜20%のお客様に、腕は確かなのか?と懐疑的に見られる場合もありました。
(註1:シニアカッターのフィリップ・パーカー氏。現在取締役)
(註2:ヘンリープールでは、カッターにはセールスマンの役割もある)

―― サイモンさんに対して?

サイモン
いえ、引き継ぎの時の、多くのお客様の態度です。従来のカッターは腕がいいのは分かっているので、新しいカッターに対してそういう見方をするお客様も少なからずいらっしゃいました。その後、アメリカの受注会『トランクショー』を始めました。97年に本格的に。

―― それまでの受注会は『トランクショー』ではなかった?

サイモン
バンチショーといってオーダーを取るだけの受注会です。フィッティングするのはロンドンのヘンリープールに持ち帰って、でした。フィッティングも現地でするのが『トランクショー』です。

―― 1997年まではトランクショーという形ではなかったんですね。

サイモン ヨーロッパではやっていました。アメリカでは『トランクショー』という形態ではなかったのです。

―― ヘンリープールでは、トランクショーはいつから始まったんですか?

サイモン
1955年です。運賃が下がるにつれて一般の人にも利用しやすくなりました。シッピングといってトランクを各地に送るのですが、そのやりとりも簡単になりました。それぞれのトランクをその都市のホテルに送り込むだけで済んでしまいます。

―― トランクショーというネーミングはヘンリープール独自のものですか?それとも他のテーラーもそういう言い方をしますか?

サイモン
サヴィル・ロウでは一般的なコトバです。フィッティングトリップ(註3)をトランクショーといいます。
(註3:仮縫いも現地で行う出張受注会)

―― フェラガモ、テーラー&ロッジに行って、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションも卒業し、さらにフランスも行って……、着実に勉強する機会を持ってヘンリープールに入ってますね。とてもしっかりとしたキャリアを築いたケースだと思うのですが、サヴィル・ロウの若手の多くもそうなんですか?

サイモン
若手は何がやれるのか分からないので、いろんなところで自分を試せます。私に限ったことではないでしょう。コートメーカーであったり、カッティングだったり。あとは若い者の為に今でも様々なプログラムがあって、チャレンジすることが出来ます。スキャバルが支援しているバウアー・ローバックというミルがあるのですが、そこでどういった風に生地が作られているか見学出来たり。私もやっていたけど、とくにこういう下積みがなくても、やりたいことがあれば知識は積み上げていけるのではないでしょうか。

●ドレスコードについて

―― 服を着ることについて、父のアンガスさんからマナーやルールを学ばれたのですか?

サイモン
ずっとアンガスのもとで育ってきたので、見ていたことはありますが、学んだということはないです。アンガスから改まって教えられたこともありません。どういうふうにしたらいいのかは学べるけれど、最終的に決めるのは自分なので。
ある程度個性が反映されないとお洒落や正装を身につけられないでしょう。靴の磨き方、ネクタイの締め方ももちろん学びましたが、コーディネートとなると個性が反映されないと意味がない。幼少の頃からアンガスのコーディネーションの仕方を見ていたというところは意味があるかもしれません。いずれにしても、アンガスがヘンリープールの6代目ということは非常に自分にとって有益なことです。

―― 個性とルールのバランスに関してどうお考えですか?

サイモン
コーディネーションというのは生まれつき備わっている感性が反映されると思いますが、それを考える時に、どういうイベントに参加するかによって色々変わってきます。最近は学校で教えないのか、イベント時にはき違えた格好で来る人もいます。ディナーパーティに何を着ていったらいいか分からないという若者も多いです。

―― 顧客からそういう質問を受けてお話したりすることはないですか?それともヘンリープールの顧客はそんなことは知っていますか?

サイモン
半分ぐらいのお客様はご存じですが、ちょっと気づいていない感じのお客さまも多いです。そういう方々からの質問は常に受けています。イベント毎の服装というのがあまりお分かりでないようです。ディナーパーティーの時にプリンス・オブ・ウェールズを着ていくとか、茶色の靴を履いていくとか、ボタンダウンのシャツを着たりとか、中にはいらっしゃいますね。

―― サイモンさんの息子さん二人はそうならないようにしないと(笑)

サイモン
(笑)そうですね。息子たちは私が仕事に行くときは必ずスーツを着ていくので、スーツには興味を持っているようです。私は3ピースが好きなのですが、息子たちの参観日などイベントで着ていくので、息子の友人やその親にも「3ピースを着る人」というように知られているみたいです。3ピースの人=サイモンになってます。息子は9歳と10歳なのですが、通っている学校のルールでは制服を着なくてはいけません。ネクタイの締め方も知っています。

―― サイモンさん以外のお父さんはどんな格好をしているんですか?

サイモン
金融業界から来る人が多く、広告業界の人もいます。広告業界の人はリラックスしたTシャツで来ますね。普段の仕事のジーンズなどで来てます。

―― それに対してどう思われますか?

サイモン
働いている業界によって服装が変わるのは当然のことです。いつもスーツを着てないといけないわけではない。そのTシャツで来る人も1年に1回くらいは正装する機会もあるでしょうし。でも、銀行マンが参観日にカジュアルな服装だと不安になりますけどね。

―― 日本では、時と場所をわきまえた服装マナーのことを意味する『TPO(タイム、プレイス、オケージョン)』という言葉があるのですが、イギリスにも同じような言葉はありますか?

サイモン
DRESS ATTIRE、ドレスコードの意味です。表現は違っても、そういう言葉があるのは重要ですね。ドレスコードでは、オーバードレス、つまりやり過ぎのほうがベターだと言われています。ラフな場面でもブレザーとかスポーツジャケットで行く方がいいと。ディナーパーティーの時にチノパン、オープンカラーシャツを着て来られると最悪で、場が台無しです。

―― ドレスコードは、自分を良く見せる為なのか、あるいは呼んでくれた方への礼儀なのか、サイモンさんはどうとらえてますか?

サイモン 両方です。正しい服装をしていくことでお互いが快適になれるでしょう。

―― スモーキングジャケットはディナージャケットに着替える前のジャケットですか?

サイモン
慣例として、葉巻を吸う時に着ているジャケットを脱いで、スモーキングジャケットに着替えて、終わったらまた着替えるというスタイルです。

―― 今では吸わない人でもそういうシーンの時に着る服?

サイモン
パーティーの時でも着られる服でもあります。サヴィル・ロウの人々が集まるブラックタイのイベントが年1回あるのですが(別の会でカジュアルなイベントもあります)、その時にもベルベット=スモーキングジャケットを着ることが出来ます。

―― スモーキングジャケットを着ている人と、ディナージャケットを着ている人が一つの部屋に混在することもある?

サイモン あります。

―― イギリスではプライベートやパブリックを含めてパーティーを多くやってますね?

サイモン 多いですね。そのために服を買われる方がいるほどです。

―― 英国人はパーティー好きなんでしょうか?

サイモン
慣例でしょうね。ただブラックタイはディナーパーティ以外はだめだし、モーニングコートを着ても、カジュアルもだめということで。日本は結婚式があって、ベルベットのスモーキングジャケットを着ていてもタキシードやモーニングコートを着ていても、なんでもいいですよね。日中の結婚式にタキシード着る人がいますね。

―― イギリスでは?

サイモン
ディナージャケットを着るのは夜だけです、ブラックタイだけなので。朝だとモーニングコートです。ただ夜の結婚式だとディナージャケットもあります。時間とドレスコードによって左右されます。
平日のディナーパーティーもあります。家族同士、一人が開いたらもう一人が開いたり…、これは慣習でしょう。

―― 服文化が日常と深く結びついている感じですね。用語のことをお伺いしたいのですが、タキシードの正しい呼び名はディナージャケットですね?パンツはスラックスなのかトラウザーなのか、そのあたりを教えてください。

サイモン
英国ではタキシードとは呼ばず、ディナージャケットと呼びます。ヘンリープールではディナージャケットを略してDJと言っています。お客様でもDJという言葉を使われます。タキシードの語源はタキシードパークからきているということで、普通英国ではディナージャケットとかDJと言います。
ジャケットはコートと言います。生地のことはファブリックとは言わず、クロスと言います。オーバーコートのことはオーバーコートです。ベストというコトバは使わないです。ウエストコートと呼びます。パンツというコトバも使いません。トラウザーです。パンツは下着のことを指しますので。スラックスは、日本の用語なのではないでしょうか。

●日本のクールビズについて

―― 日本には数年前から政府が推奨してクールビズというムーブメントが始まりました。

サイモン ビズとはなんですか?

―― ビジネスの略語です。環境保護の為、冷房の温度を下げずに済むように、ネクタイをはずしたり、ジャケットを着なかったりすることを推奨する施策です。いわゆるドレスダウンですね。夏はネクタイもスーツも売れにくくなってきていて、服飾市場に少なからず影響をあたえているのですが、ご存じですか?

サイモン 初めて聞きました。IT業界で働いている人たちが始めたんですか?

―― いえ、違います。日本の全企業に対して政府がドレスダウンを推奨したんです。

サイモン
イギリスでも何年か前にそういうことが起こったのですが、ドレスダウンというのは難しいんです。どこまでカジュアルにしていいのか分からなかった人が多く、企業ごとに境界線をひかないといけないという話になりました。そうじゃないとTシャツとジーンズで現れる人もいたので。
英国では、タイを締めてスーツを着るのが好きな人が多い。自分をスマートに見せたい人が多いんです。ドレスダウンして自分をスマートに見せることが出来なかったというのが現状です。今もドレスダウンは続いてはいますが、かえってスーツのリバウンドというかスーツに帰ってきているのではないでしょうか。

―― 日本ではそういう兆候はありません。ネクタイメーカーは、夏は苦労しています。

サイモン
4年ごとのサイクルでまわっているのではないでしょうか。日本はあと1年で帰ってくるかも(笑)。ドレスダウンの動きは3年前にイギリスで起こって、それ以降スーツを会社に持ってきておけという風潮が出来ました。会議があったときすぐ着られるので。何を着るか考えるのが面倒だから、スーツでもきておけ、という考え方もあるそうです。
海外からミーティングに来ている人もいますが、自分の支社の人たちがカジュアルな服装で現れたら良い雰囲気で仕事は出来ないでしょう。
ある時のトランクショーで、フィッティングしていたホテルに郵便か何かを待っていた人がいたのですが、ベースボールキャップ、ピアス、ひげ、ジーンズで現れて。フェデックスから来た人と思って。名前を聞いて話したら、その方がお客様だってことがやっとわかったのです(笑)。

●サヴィル・ロウの伝統

―― サイモンさんはミルで修行もされたということで、サヴィル・ロウと生地のことをお伺いします。

サイモン
サヴィル・ロウを基準に考えると、Hレッサーとスミス・ウールンはロンドンのテーラーが好きな生地商です。レッサーとスミスというのは世界的にはそれほど知られていません。有名なのはスキャバル、ホーランド&シェリーです。でも、すごく作りやすいんです。伸びるというと語弊がありますが、生地を操りやすいんです。
生地はもちろん良くて、マットフィニッシュ、つまり、あまりテカらない落ち着いた生地である特徴があります。初めて来られたお客様によく勧めるのですが、派手過ぎず、地味すぎないところがポイントだと思います。ヘンリープールと同じで家族経営です。たぶんレッサーもスミスも3代目か4代目だと思います。
レッサーとスミスは糸にしても織り方にしても生地のパターンにしても一貫性があります。ロンドンでよくあるケースとして、10年前に買ったスーツが破れたのでつぎはぎしてくれとか。新しくパンツを買った時にスミスならまだ生地があるんです。スキャバルやホーランド&シェリーだとやっぱり1年に2回、少なくても1回、パターンが変わってしまうので、そういう対応が難しいんです。
おとなしいものもあればすごく明るい色遣いをするのもあるのでそういう部分でも一貫性があります。5年後、10年後同じ生地を欲しいといった時、スキャバル、ホーランド&シェリーはデザイン性を追い求めるブランドなので難しい。やはり安定したレッサーとスミスを選ばれた方が長持ちもするだろうし、織り方、品質に対するクオリティーがものすごく高くて、それは昔も今も変わらず安定しています。

―― サイモンさんの考えるサヴィル・ロウのスーツとはどういうものですか?

サイモン
サヴィル・ロウにはビッグスリーと呼ばれるテーラーがあります。ヘンリプールとハンツマン、アンダーソン&シェパードのことです。ミニタリーテイラーというのがハンツマンのことで、ソフトで軽いスーツをつくるのがアンダーソン&シェパード、ヘンリープールはその折衷的なものを作ります。スタイルというのはテーラーによって違っていまして、ドレープにしても体にフィットしたものであったり、スリーブの盛り上がりをふくらませたりするとこともあるので、サヴィル・ロウ・スーツといっても十人十色ということですね。
19世紀末、ラウンジスーツというものが紹介されました。それに一役かっていたのがヘンリープールだと言われています。ラウンジスーツというのは、ジャケット、ウェストコート、トラウザースもすべて同じ布で作られるのですが、特徴はハイウェスト、股上が長く、ドレープが効いていて、アームホールが高いなどです。それがクラシックなスタイルだからこそ、今までずっと生き続けていたものだし、今のヘンリープールのスーツにもなっています。ずっとやってきているのでそれをサヴィル・ロウの典型的なスーツと呼ぶことも可能でしょう。

―― ドレープというのは、立体感のある、男性のバスト部分を強調するスタイルと考えていいでしょうか?

サイモン
そうです。サヴィル・ロウではドレープという言い方をするのですが、ドレープは胸元のアームホールの下、胸回りにかけてのふくらんでいる形の部分です。そしてウエストのボタンのポジションが通常よりも若干高いという点です。あまりカットアウェイ(ジャケットの裾が開くこと)にならないようにヘンリープールでは作ります。
重要なことは、ヘンリープールのスーツは全体のバランスだということです。ドレープがあるというのは重要なポイントの一つです。男性を凛々しくみせるためにはドレープは一役かってます。ハイウエストと言いましたが、技術的な言い方になりますが、やはりおなかが出てくるあたりでしぼるのはあまりよく見えないです。実際のウエスト部分から数インチか上げたところでしぼると凛々しく見えます。スーツを作る上で大事な要因の一つです。

●ヘンリープール7代目として。

―― サイモンさんは200年以上続くブランドを引き継ごうとされていて、カンディ・ファミリーとしても何代にもわたって経営してきていますよね。次の時代のサヴィル・ロウの伝統をサイモンさんが引っ張っていくわけです。

サイモン
7代目ということで大変なのはもちろんです。ただ200年というのは、歴史はあるのですが、当社が取引しているクーツ・バンクは16世紀に出来て以来500年ずっと継続されています。ヘンリープールはまだまだ若いくらいです。歴史がどうあれ、時代とともに変わっていかなくてはいけないと考えています。
たとえば、マーケティングやロジスティクスであったり。現在の15番地にある本店は3階までのビルでワークショップが上にあったのですが、それを全部1階と地階に移しました。2年前です。それで通りを歩く人にも見てもらえるようになったのです。地階は陽がが入らないところが難点ですが。リベリー部門というコスチュームを作るところがあるのですが、興味深いことをやっているのでいい宣伝になると思います。

―― 変えていくことは非常に重要ですね。アンガスさんとサイモンさんは、親子でありヘンリープールの6代目と7代目、お二人の考えが違うこともあると思うのですが。

サイモン
若いほど情熱的でアグレッシブな部分がありますけど、歳をとるにつれて柔軟に物事を考えることが出来ますし、賢くなります。どれだけ歳をとってもヘンリープールに対して情熱的なのは変わりません。物事を柔軟に考えるということは重要だけれども情熱も失ってはいけません。あと、マーケット、スタッフ、お客様のことに対してそれぞれ柔軟にやっていかなくてはいけませんね。

―― 日本の英国ファンやヘンリープール・ファンに一言メッセージをお願い出来ますか?

サイモン
自分を表現するツールとしてスーツを着てほしいです。接客の際にいろんなお客様の意見を聞きますが、どういうスーツがお客様に似合うかを色々模索して勧めていきます。作り方・品質に関しては全く変わっていません。我々は、一度来店していただいた方はお客様とは呼ばないのです。二度目に再来店してくださったお客様を本当の顧客と呼ぶのです。初めての方が再来店してくださるよう努力しています。
いいものを作ることで帰って来てくださるのは嬉しいことです。アメリカのボストンのお客様には、10年前に作ったスーツを今も着ていただいていているのですが、クラシックなものなので見た目も古くさくなくて、すごく喜んでくださっています。ビスポークの服は高級なものなので、ぜひご理解いただいて足を運んでいただけると嬉しいです。
ビスポークテーラーの特徴として、10年前に頼んだものや、直しの時にもってきていただいた時、同じ生地はもちろん、同じカッターの接客、同じコートメーカーが作らせていただきます。こういうことは、やはり他の服飾業界でプロフェッショナルにやっているブランドでも難しいでしょう。これはビスポークテーラーの特徴ですから。


インタビュー
取材:株式会社チクマ・ヘンリープール事務局
2010年7月14日 株式会社チクマ東京支店にて

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