COURT & CEREMONIAL DRESS
アーカイブにある古い台帳や歴史的書類に加え、
歴史的な裁判所や宮廷の儀典服と制服を保管しています。
そのほとんどはジョージ王朝の終わりから20世紀初頭のもので、
その精巧さと卓越した職人技は、サヴィル・ロウを地図に残すほどに
ヘンリープールの評判を上げたのです。
1869年、王室長官は裁判所などでの服装についての新しいガイドラインを発布しました。それにより紳士の儀典服などの装いのスタンダードとして、黒のシルクベルベットの生地とスチール製のボタンを装備したスーツが規定されました。従来、裁判所などの制服は、最高級な生地の上着とズボンと花柄のウェイスト・コートというものでした。これはジョージ3世の時代に着用された豪華な装飾が施された宮廷服の流れをくむものです。
しかし新しく、より控えめなスタイルは州知事などの制服として規定され、前の時代からの華美な要素は抑えられるようになりました。18世紀末に初めて作られたもののひとつであるシャポーとして知られる折り畳みのコックドハット、1740年代にあったウィッグバッグ(コートの首の後ろにあるウィッグを入れるバッグ)のなごりでもある首の後ろに結んだ黒のシルク製ロゼットなどです。コートは1780年代のスタイルを踏襲したものではありますが、19世紀の進化した縫製技術がよりフィットしたスタイルを生み出しました。より地味な制服の代わりに、バラエティ豊富なスチールカットのボタン、靴のバックル、刀剣の柄などが作られ、着る人の個性を表現しました。
現在もヘンリープールは1世紀以前より前に制定されたスタンダードに合わせて儀典服を製作しています。紳士用女性用にかかわらず、スーツはすべてフル・ビスポークで最高級のイタリアン・ベルベットを裁断し手縫いされ、規定に従った模様のついたボタンや靴のバックルを装備しています。女性用にはデザインサービスも提供しており、喜んでスタイルや素材選びのアドバイスも行います。制服の修理やリノベーションも行います。
PRIVY COUNCIL UNIFORM, CIRCA 1920
国王諮問機関の制服(1920年頃)
英国王ジョージ4世の時代、大臣や国王諮問機関の制服は最も高価かつ作成に時間のかかるものでした。これらのユニフォームは世界中で羨望されてコピーされ、例外なく着る人が所属する国の国花がデザインに入れられました。
LIEUTENANCY UNIFORM, CIRCA 1906
大尉の制服(1906年頃)
もともとは将校の制服をベースに作られた王室の大尉の制服は、王室の官位に任命される人が持つ軍歴が反映されました。その制服は19世紀を通して次第に進化しましたが、ミリタリーファッションとも呼応し、2回にわたって規定を策定したヘンリープール社に導かれたものでもありました。制服は形を変えて、大尉の紅いチュニックは、青いサービスドレスに変更される1950年代初頭まで着用されました。
ROBE OF THE ORDER OF THE GARTER, CIRCA 1906
ガーター勲章受章者のローブ(1906年頃)
1906年、初代リンカンシャー侯爵であるチャールズ・ロバート・ウィン=カリントンのために作られたガーター勲章受章時のローブは王政復古のころとほとんど変わっていません。ローブの左の肩につけ られた勲章の刺繍の施されたバッジにはモットー「HONI SOIT QUI MAL Y PENSE」、現代英語で「Shame unto he who thinks evil of it(それを悪く考える者は恥を知れ)」と記されています。
KING GEORGE III SEMI-STATE LIVERY, 1819
英国王ジョージ3世 準軍服(1819年)
ヘンリープール社のアーカイブに保管されているいくつかの公職者の制服の中で最も豪華なもので、60ヤード以上の重い銀箔のレースが縫い付けられています。自動車が開発される前の時代、このような精巧な御者の制服はよく見受けられ、ヘンリープールを含むサヴィル・ロウの名だたるテーラーにとっては利益の多い商品でもありました。ヘンリープール社はその収益の大きさから制服作り専用の工房を別の場所に所持し、それは第一次世界大戦後にもとの本店に吸収されるまで30年間維持されました。