MEET THE TEAM
献身的で才能あふれた職人チーム
ヘンリープールの職人の持つ技術は、一流の外科医のそれと同様に高く評価されています。
お客様には最高の職人こそがふさわしいのです。その職人であるカッターとテーラーは
長きにわたりヘンリープールのビスポークを支えているのです。
アンガス・カンディMBEはロンドンのテーラー・カッター・アカデミーでのカッティングコースを修了ののち1959年にヘンリープール社に入社しました。サヴィル・ロウ店舗の入ったビルの取り壊しによりコークストリートへの移転を余儀なくされるという不名誉な事柄を目撃したアンガスでしたが、1982年についに現在のサヴィル・ロウ15番地に戻ることとなりました。(注:MBEは大英帝国勲章受章者の称号)
マーチャント・テーラー連盟会長、世界マスター・テーラー連盟会長、テーラーズ・ベネヴォレント学会およびマスター・ベネヴォレント協会の会長を歴任。1955年に見習いコート縫製職人としてパリのメゾン・ランバンに在籍したのち、英国空軍に入隊、1956年から1957年まで勤務。
サイモン・カンディはヘンリープール社の7代目。1968年に生まれ、サーレイのオックステッド・スクールに通いました。1985年にカッティングとテーラリングを学ぶためロンドン・カレッジ・オブ・ファッションに入学。2年後、クルーにあるチェスター・バリーの工場で衣料品と生産に携わり、ハダースフィールドのテーラー・アンド・ロッジ・ミルで織物、デザイン、仕上げに携わりました。
1988年、ヘンリープール社の社員となり、1994年にアメリカ市場担当のチーフ・マーケティング・オフィサーに就任。そのころから日本とアメリカ(西海岸および東海岸)を年5回訪れるようになります。2012年マネージング・ダイレクターに就任。2001年にライブリー・マーチャント・テーラー・カンパニーの役員に選出され、4年後マスター・テーラーのベネヴォレント協会の会長に就任しました。
サヴィル・ロウのショールームのビスポーク・カッターであるとともに、トム・ペンドリーはヨーロッパとアジアでのトランクショーの責任も負います。また、ヘンリープールの工房をベースに国内様々な顧客の製品作りも監督しています。
職業訓練のコースを通じて手工芸の世界にいざなわれ、縫製を学んだ後、ヘンリープールで37年以上務めたアラン・アレキサンダーのもとでパターンカッターとしての伝統的な見習い行程を修了しました。
サセックス生まれ。トムの学業はアート、工芸、そして特に音楽に向けられました。ビスポーク・テーラーのクリエイティブかつエンジニアリングな側面がトムを惹きつけ、彼がこの業界に入り学び直す所以になったのでしょう。
それ以来、2017年のハイブリッド・アディダス・スニーカー2種のデザインを含む様々なプロジェクトに参加。今では若い世代のテーラーの訓練に携わり、同社の2世紀にわたる豊かな歴史を守り継承することに貢献しています。
フィリップ・パーカーはコンサルタントとしてロンドン本店を守っています。かつてはカッターとして広くヨーロッパ、アメリカ、アジアを回っていました。
ビスポーク業界に長く貢献してきたフィリップは経験と専門知識が豊富です。
次世代の若い職人を生み出すことに大いに寄与したサヴィル・ロウ・ビスポーク研修委員会の委員長を務めるなど多くの業績を残しました。またマーチャント・テーラーズ・カンパニーの役員という役割としても若い見習い生たちの世話をして激励しています。
フィリップのシンプルな信条「出来うる限りのベストを尽くし他者に力を貸すこと」は彼のキャリアに実証として残り、今もそうあり続けています。
ロムフォード生まれ。学校の成績が振るわなかったため、テーラーになりたいと宣言した時、両親はさぞほっとしたことでしょう、とは本人談。
スコットランド西岸のアイルシャー生まれのダニエルがロンドンに居を移したのは2012年8月、ビスポーク・テーラーの芸術学士号の取得を目指すためで、無事2015年に取得、卒業しました。
その間、アルカディア・グループ傘下の企業を含む様々な会社で技術・生産パターン・カッティングや製造の経験も積みました。
卒業後まもなくヘンリープール社に入社。ことわざにもあるように、これからのことは歴史が語ってくれるでしょう。マネージング・ダイレクターのアレックス・クックによる綿密なるトレーニングと指導により、ダニエルは今ではアメリカ東海岸のトランクショーに不可欠なメンバーとなっています。ダニエルはヘンリープールの現存のお客さまとこれからのお客さまに、今後も真摯に仕えてゆくことでしょう。
チャーリーは厳密な技術者の目を持つトム・ペンドリーのもとで数年間トレーニングを積み、ほとんどのヨーロッパ地域のトランクショーの責任を持ちつつ、サヴィル・ロウの顧客のカッティングとフィッティングもこなしています。
彼のテーラーとしての活動は幼少期にさかのぼります。父親のスーツを自分自身にフィットさせるためにハサミを持ったのです。スーツは台無しになったものの、ビスポークという工芸への興味が生まれました。
ニューハム・カレッジでビスポーク・テーラーの技術を学んで、小さめの会社数社で有益な経験を積んだのち、チャーリーはサヴィル・ロウの創始者であるヘンリープール社に入社するという大いなる転機を迎え、以来ヘンリープールでチョークを引き、生地を裁断し続けています。