19世紀までさかのぼる歴史の深さを
堪能してください。
ヘンリープールは200年を遥かに超えて、ファミリー企業として続いてきました。
19世紀初頭、シュロップシャー州の若者、ジェームズ・プールがリネン商人として
初めてロンドンに来たことに始まります。
OUR STORY
ヘンリープールの歴史は
サヴィル・ロウと共に
サヴィル・ロウはロンドンのボンド・ストリートに平行して通る静かで目立たない道でした。この通りは今や、英国のビスポーク・テーラーの聖地というだけでなく、ハンドメイドスーツを求める全世界の人々が目指す聖地となりました。サヴィル・ロウの今ある名声がヘンリープール社の現オーナーファミリーの祖先である、ジェームズ・プールに機縁することを誇りに思います。
A FAMILY BUSINESS
最も有名な仕立屋通り
「サヴィル・ロウ」を創設したヘンリー。
1806年シュロップシャーの青年、ジェームズ・プールはロンドンでリネンを商う仕事を始めました。ナポレオン戦争の時代だったため、すぐに妻のメリーの助けを得ながら軍服を縫うことになりました。そして1815年のワーテルローの戦いのころには、ジェームズ・プールはロンドン屈指のテーラーになっていたのです。
1846年、ジェームズはカリスマ性を持つ息子、ヘンリーに事業を継承しました。乗馬とフィールドスポーツへの傾倒が縁となり、貴族社会への交流を増やすことによって、あっという間に、今でいう“セレブご用達”テーラーになりました。実際その彼の持つ社交性の才覚によって、フランス皇帝ナポレオン3世とのちに英国ヴィクトリア女王を顧客に持つようになり、1858年に初めてのロイヤル・ワラント(王室御用達の称号)をナポレオン3世より、そして1869年にヴィクトリア女王より授かることとなりました。
しかしながらヘンリーをファッションリーダーへと押し上げてくれたのはヴィクトリア女王の息子である英国王エドワード7世です。メイフェア地区にあったヘンリーの店は友人たちに“バーティ”の名前で親しまれた当時皇太子の取り巻きたちの集まる社交界のハブとなり、サヴィル・ロウがロンドンのベストテーラーの集まる通りとしてその名が知られるようになったのです。
ヘンリープール社は、ヘンリーの従弟にあたるサミュエル・カンディに継承され、以来カンディ家5世代に受け継がれることになります。こんにち、アンガス・カンディと彼の息子サイモン・カンディは、ビスポーク・テーラリングの伝統を守ること、そしてサヴィル・ロウ最初のテーラーであるヘンリープール社が堅持する独自性と卓越性を保ち続けることに誇りを持っています。
ヘンリープール社の歴史をもっと探求したいお客さまはtimelineをご覧ください。
THE DINNER SUIT
ディナースーツ、もしくは
“タキシード”
1865年、プリンス・オブ・ウェールズ(英国皇太子)のために世界で初めてタキシードを考案したのがヘンリープール社であることをご存知でしょうか?
ARCHIVE
サヴィル・ロウ
最初のテーラーとして
ヘンリープール社のアーカイブには、1846年から1950年代までの顧客台帳が、一冊100ページ以上になるモノリシックな本120冊以上となって収められています。